ノルディックの森/バンクーバー五輪1

バンクーバー五輪が閉幕して早くも1週間。夏も冬もオリンピックは好きですが、冬のオリンピックと言えば、やっぱり北海道!
今回のバンクーバー五輪の日本選手団94名のうち、北海道出身者は、47都道府県中最多の37名。
やはり北海道贔屓としては、北海道出身選手が多いというのは嬉しいものですが、やはり一番の注目は、代表5選手のうち4選手を占めているジャンプでした。




今回の日本ジャンプ陣の顔ぶれは、(左上から時計回りに)伊東大貴、竹内択(彼だけ長野出身)、栃本翔平、葛西紀明の4名と、

残念ながら出番はなかったのですが、おなじみ岡部孝信の計5名でした。
さて、スキー競技には、大きく分けて、滑降や大回転などのアルペンと、ジャンプやクロスカントリーのノルディックに分けられますが、ノルディックは北欧のスカンジナビア地方で生まれたスキーです。
私には、ノルウェー人の知り合いがいるのですが、、当然のようにスキーが得意でニセコが大好き。北欧といえば森や湖のイメージがあるのですが、ノルウェーと北海道は景観や気候が似ていると言っています。

今回のジャンプ競技の舞台となったウイスラーのジャンプ台。ここも森の中にあり、いかにもノルディック?な雰囲気です。

札幌に住み、ベランダから見える山々の間に大倉山シャンツェが見えた時、「北海道に住んでいる!」という実感が湧いて、とても感激したのを覚えていますが、

すぐ近くの宮の森シャンツェも深い森の中にあり、この辺りは私にとって、まさに「ノルディックの森」なのです。

札幌では「ノルディックの森」に、わりと近いエリアに住んでいたこともあり、ジャンプの大会も何度も見に行き、生の迫力を味わえたことは本当に素晴らしい体験でした。

左から岡部、葛西、伊東の各選手

左から湯本、伊東、竹内の各選手

左から葛西、岡部、伊東、栃本の各選手
今回出場の選手達も、何度も目の前でその勇姿を見せてもらいました。
いつも見ていた選手達ですから、もちろん応援はします。ただし、TVや新聞では、ジャンプはメダル候補と言われていましたが、私は正直なところ、メダルなんてまず無理、良くて入賞だろうと思っていました。
ご存知ない方がいるかもしれないので、一応書いておきますが、ジャンプのスタート位置は一定ではなく、その時の状況によって変わります。
国内の大会では、葛西や岡部が140メートル級の大ジャンプを飛んで優勝するので、日本選手もやるじゃないかと思うかもしれません。
でもそれは、国内の大会では(トップレベルの選手=基準となる)葛西や岡部がHS(ヒルサイズ)くらい飛べるだろう位置にスタート地点が決められるからであって、ワールドカップレベルになると、力が上位の外人選手に合わせてスタート位置が決められるので、葛西や岡部でも、そんなには飛べなくなります。絶対的な力の差は歴然としているのです。
今回のラージヒルの予選では葛西が1位で通過しましたが、TVや新聞は、客観的な分析もせず、ただ我々の期待を煽るだけの報道しかしないのはいつもの通りですが、予選は、シードされている10人の選手は飛んでおらず、彼らが一緒なら、葛西以上に飛んでしまい危険なので、もっと助走路は短く設定されるのです。
実際に予選の後にシード選手の試技が行われたのですが、
本番で優勝したスイスの

子門真人(シモン・マサト)

じゃなかった、シモン・アマンは、葛西の飛んだ予選より低い位置に設定されたスタート地点から、葛西とほぼ同じ距離を飛んでいるのです。
ただし、ジャンプ競技は天候に大きく左右されるので、もし、日本選手がメダルを取るチャンスがあるとすれば、荒れた天候になり、条件の良い時に順番が回ってくるという、それこそ「神風」が吹いた時だけだと思っていたのですが、3種目とも、穏やかな天候ではとても太刀打ちできませんでした。
そんな状況の中、葛西の8位入賞というのは、現時点でのベスト以上のものだったと思いますが、さらに次のソチ五輪も目指すような発言を聞くと、「う~ん。それでいいのか?」と思わざるを得ないのが正直な気持ちです。
日本の経済状況が悪化するにつれ、企業のスポーツ活動の縮小や廃部と言ったニュースも多くなってきましたが、マイナースポーツには特に厳しいものがある上に、北海道は特に危機的な状況なので、次代のトップ選手である伊東選手ですら、一時、活動基盤を失ったりもしました。
そんな状況なので、若い世代の運動能力に優れた人材が、「それでは食っていけない」ジャンプ競技を目指すような環境ではないのです。
確かに、岡部や葛西は天才だと思います。そうでなければ、長い間第一線で活躍は出来ないと思います。でも、それを脅かす選手が育っていない、というより、競技人口に加わってこなくなったのも事実でしょう。

どこかのスケート選手で、もう第一線で戦う力がなくなっているのは誰の目にも明らかなのに、何を勘違いしているのか、成績が悪くても全く悪びれることなくインタビューに応え、「次は結婚姓でソチ五輪を目指します。ニューフェースで~す。」とか何とか、ノーテンキな発言をしているのはヒジョーに不快でした。
別に、「国の威信をかけて」戦わなくてもいいけれど、国費で派遣されるオリンピックなのだから、自分の思い出作りだけで出るのは勘弁して欲しい。

明るい性格で、いつもはマスコミ受けする発言をしているノルディック複合の小林範仁選手だって、惨敗した個人ラージヒルの後のインタビューでは、「いつもの明るさがないですね。」と言われ、「こんな時、明るかったら怒られますよ。」と答えていました。
それくらいの気持ちは持っていてくれないと、応援する方もシラケルというものです。
個人の思いだけで戦ってもらって一向に構わないと思いますが、選手も、応援する方も、他の大会と違って、どうしても心の片隅に「自分の国」を意識してしまうのがオリンピックなのですからね。
いずれにせよ、4年後もまだ岡部や葛西が日本のトップだとしたら、ちょっとどうかと思います。でもありそうで怖いですが…。
まあ、もしそうだとしても、その時の岡部や葛西にメダルを争う力があるとはとても思えないし、それだったら、若い世代に経験を積ませた方がよっぽどいいような気もします。適切なタイミングで後進に道を譲るのもアスリートの役目だと思うので、少なくとも、岡部や葛西には、某スケート選手のようなKYな発言だけはして欲しくないと思います。
でも、岡部や葛西がいなくなったら、原田雅彦の姿がなくなった時に感じた寂しさを、きっとまた感じるのでしょうね…。


岡部や葛西の他にも、

笠谷幸生

原田雅彦

船木和喜
過去に、幾多の天才を輩出してきたノルディックの森。
もう目の前で応援する事は出来なくなってしまったけれど、また次の天才が現れる日まで、遠く内地より、期待と、そして祈りを込めて見守っていきたいと思います。

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(2010年02月下旬のある日)
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この記事へのコメント
偶然に見つけたブログとはいえ、読んで驚きました。理由は定かではないとしても、私と同じ経験をしている人が存在していたことに。
実は私も昨年、北海道から東京に帰ってきました。というよりも、帰って来ざるを得ませんでした。諸事情により。
今から12年前、道産子になる!(なれるわけないのですが)という志を秘め、私は北海道へ移住しました。それから11年間、北海道にて暮らしてきたのです。
諸事情により「夢破れ」、昨年帰郷してきたわけですが、以来この一年間、片時も北海道のことを忘れたことはありませんでした。
私と同じ境遇を持つ人に出会えたことは衷心より嬉しく、これからもこのブログを見に来ます。今後ともよろしくお願いします。
はじめまして。
そして、コメントありがとうございます!
コメント読んで、私もビックリです。
そうですか。KATSUさんも昨年帰ってこられたんですね。何だかとても似た境遇のようで、嬉しいやら、悲しいやら、複雑な気分です。
私もすでに7ヶ月が経過していますが、見るもの聞くもの、全て北海道の思い出を喚起することばかりです。
このブログもやめてしまおうかと思いましたが、何となく、これをやめると、北海道との縁が切れてしまいそうな気がして、思い出話が多くなってしまいますが、続けてみようかと思っています。
よろしければ、また読んでいただいて、KATSUさんの記憶とシンクロすることでもあれば、またコメントいただければ嬉しく思います。こちらこそ、よろしくお願いします。